悪霊研究

分離派短詩作家髙鸞石のブログ

2020年02月

「痴霊記一」「痴霊記二」

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〈地方〉俳人はこのようにして根源に至れ(愚人正機より転載)

先月、愛媛県で行われた「まる裏俳句甲子園」というイベントでF.よしとなる(おそらく北海道現代俳句協会事務局長である)北海道の俳人がアイヌ関連の問題についての句を競技の場に提出し、「和人としてこれを聞いたら旗を上げざるをえないですよね」とアイヌ関連の問題を人質にして評価を得ることを目的とした発言をしたことについて、参考のために以下の文章をブログ「愚人正機」より転載します。


〈地方〉俳人はこのようにして根源に至れ(「愚人正機」2019年2月11日掲載)

 


〈どういうふうにして、コムプレックスを追放すべきであるか。いはば精神分析療法である。それはコムプレックスの根源をさぐりだすことである。文学的にいへば、むしろこれまでの劣等感に徹してみることである。優越をもとめるといふ代償作用を排して、ひとつこのコムプレックスに最後のところまで身を委ねてみることだ。生半可な文化的優越への逃避など当分希はぬことだ。〉

(荒正人「大人国・小人国」『第二の青春・負け犬』冨山房百科文庫)

 


引用した部分はもちろん、戦後の日本を意識して語られたものだが、〈地方〉俳人どもの現状を考えるとき、この文章のなかに教訓を見出さずにはいられない。

 

先日、北海道文学館とかいうところで〈地方〉俳人のシンポジウムがあるということで、このブログにおいて〈地方〉俳人批判を展開した私は、これに行くべきではないという思いはあったが、逆に、それを見届ける責任をこそ持たねばならないだろうとも思い、出席した。会場のほとんどは高齢者であり、若者はほとんどいない。この状況にすでにシンポジウムのテーマ「北海道の俳句~どこへ行くのか」の答えが出ていると思ったが、私は黙って話を聞いていた。


参加者は4人、松王かをり、瀬戸優理子、鈴木牛後、安田豆作。みな道内の俳人であり、どうでもいいことだがそれぞれ受賞歴がある。

松王は「北海道俳句」として風土性が評価されてきた経緯についてかたり、現代においては生活の面での風土は均一化されていると結論づける。

瀬戸はまず、五十嵐秀彦が週刊俳句2019年1月29日号「週刊俳句時評57」で語った、俳句の空間に持ち込まれているメディアによる地方・中央の区別を取り上げる。そこから、メディアが用意した二項対立ではなく、いま・ここに立脚した俳句の可能性を探る。

鈴木は「春遠し」「夏の雪」などの、自己の生活に立脚した季語を用いて句を作ってきたことを語り、深谷雄大の季語観を取り上げて、均質化から抜け出すような北海道の俳句の可能性について語る。

安田はテーマとあまり関係ないことをくどくどと述べるばかりであったが、北海道の俳句と人間諷詠の関係を示してはいた。そして今後の北海道の俳句がアイヌ語の導入、または川柳化の道へ進むとの見解を述べた。

 

まず、ここまでの私の感想を述べると、松王や瀬戸の主張には頷けるものが多かったし、安易に〈北海道の自然〉を取り上げるのではなく、自己の生活に立脚した季語を使うことを語った鈴木の態度は頼もしかった。この三者の語ることはある程度肯定できたのだが、安田の認識は理解できなかった。とくにアイヌ語の導入は、アイヌ語が現在どれほど道民に理解・受容されているか、そこに〈和人〉の〈消費〉の感覚はないのかが問われなければ、北海道の俳人によってアイヌ文化が俳壇での出世のために使用されることになりかねない。それはかつて和人がアイヌ人を虐殺したこととどれほど違うのか。安田はそれについて無自覚なまま、アイヌ文化の利用を示唆していたように思える。恥を知れといいたい。

 

 

その後の座談会では、五十嵐秀彦が北海道らしい気候を書くことが風土性ではないこと、むしろ内省的・主観的であることが北海道の俳句の特色であると述べる。

それを受けて瀬戸は北海道の俳句がどれだけ中央のメディアに出てこれるか、北海道の俳句のような句が詠まれたいと思われるかを問題視する。

五十嵐はさらにネットの可能性について、ネットは地域性を乗り越える可能性をもつものではなく、ネット自体が中央化されていると述べる。

鈴木は「東京の人」のほうが「声が大きい」と述べ、それに合わせないことがイタック(北海道の俳句団体)のやり方であるとコメント。

五十嵐はまた、鈴木の作品について、酪農家が俳句を作っていることが強調されていると言う。それに対して鈴木は、「僕もそれを利用している」が、それだけでないものを書きたいと語る。

 

ここでコメンテーターの〈地方〉俳人的認識が露呈する。瀬戸の発言にあらわれた、中央のメディアへの依存は言うまでもない。五十嵐はネットが中央化するというが、それは週刊俳句みたいなのに安易に接近したからだろう。自身のブログで我慢強く延々と言論活動を展開すれば、五十嵐自身だけでなくそれを読んだ人々にも、中央の流れとは別のものが見えてくる可能性があった。五十嵐は新聞や総合誌にばかり書いているが、そういう小遣い稼ぎに執心しているからネットの可能性が限られて見えるのだ。鈴木が言う、〈中央〉の人々の声の大きさを封じ込める可能性もまた、ネットにあると言えないだろうか。

また、鈴木の「僕もそれを利用している」という発言には呆れてしまったが、これはまさに〈地方〉俳人の悲しき実態そのものでもある。〈中央〉の人間関係依存、〈中央〉のメディア依存、〈中央〉の言説依存。鈴木発言が浮かび上がらせるのは、そういう依存ゆえに〈地方〉を強調したり利用せざるをえない〈地方〉俳人の愚である。そのような愚を脱却しないかぎりいつまでたっても状況は変わらない。

無名無冠で実力のない私にとっては鈴木がなぜ〈中央〉による、鈴木作品への「酪農家の俳句」観を「利用」したのかがわからない。〈中央〉の賞の受賞を経て権力的立場を獲得した鈴木の事情によるところもあるだろうが、鈴木自身が〈中央〉の言説を利用するのではなく、勇気をもってこれを跳ねのけていくところからしか「北海道の俳句」は発展しないだろう。どこぞの若手俳人と違い、あらゆるコネを用いて出版社やテレビ局から仕事をもらって「俳句で食っていく」わけではないのだから、それ(「酪農家の俳句」観のような中央の一方的で不愉快な言説を跳ねのけること)は可能なはずだ。

 


質疑では、自然に注目するだけでなく、風土の文化的側面、つまり、もっと北海道の150年という歴史性に注目すべきだと言う意見や北海道新聞社と協力して北海道の言葉が季語として採用されるように活動を展開しろとコメンテーターを熱心に叱咤する発言が出たが、いずれも質疑と言えるレベルのものではなく、自己の主張を単純にコメンテーターにぶつけただけであり、その内容も無内容どころか、噴飯ものですらあり、この愚鈍さや滑稽さが北海道の俳句の可能性では?wと嘲笑したくなった。前者には北海道命名以前の〈蝦夷地〉などに関する意識が欠けている。後者の発言に込められた、俳壇での権威獲得を目的とした政治性のクソさは言うまでもない。

このレベルなのである。コメンテーターは、それぞれ真剣に自分の頭で考えているけれども、聴衆はこのレベルなのである。コメンテーターには、まずは、今回のイベントを「いい議論ができた」と片付けて〈逃避〉してしまうことなく、自分たちの言葉が「北海道の俳句」の担い手である聴衆を感化できなかった、あるいは自分たちの周囲にはあれだけ語っても感化されないほど愚かな「北海道の」俳人がいるということを痛感することを求めたい。質疑における聴衆のこれらの発言に対して、コメンテーターはあいまいに受け流すだけだったが、本当にそれだけでよかっただろうか。私としては、徹底的に議論するところが見たかった。


が、もうどうでもいい。あんたらは佐藤文香を批判することすらできんうえに、手を叩いて歓迎すらしてしまうのだから。

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プロフィール

髙 鸞石

分離派短詩作家
2012-2015年
早稲田大学俳句研究会に所属。
2015年
「海程」入会。
2018年
金子兜太の逝去に伴い「海程」退会。
2018年
「塔短歌会」入会。
2019年
「塔短歌会」退会。
2021年
竹柏会「心の花」入会。
同年、第5回群黎賞佐佐木定綱選者賞受賞。
2022年
選考委員の対馬康子氏、コーディネーターの筑紫磐井氏への抗議のため、第6回芝不器男俳句新人賞中村和弘奨励賞を辞退。

Twitter プロフィール
筆名は「高師直」「親鸞」「石川淳」からそれぞれ一字をとり、組み合わせました。 ブログ「悪霊研究」G氏賞と春殴会。俳句ではなく「短詩」。「俳句」は辞めた。
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作品掲載・発表等
2019
・俳句四季12月号「溶ける鯨」5句
・ネットプリント
「穢れた魂」18句
『誌』Vol.2「美と秩序」
2020
・詩客「殺戮の神」10句
・『俳句αあるふぁ』増刊号 遠藤若狭男の作家論と20句選
・We招待作品「壺乃牡蠣」15句
・ネットプリント
「痴霊記一」18句
「痴霊記二」18句
「痴霊記三」18句
「痴霊記四」18句
「東京虞輪」36句
「痴霊記五」18句
「痴霊記六」18句

2021
・『俳句αあるふぁ』2021年増刊号 忘れえぬ俳人たち 2020にて鍵和田秞子論と20句選
・『連衆』90号「加藤知子は何を書いてきたか」
・『We』掲載作品「白虎再起」10句
・ネットプリント
「時空糞一」18句
「時空糞二」18句
「時空糞三」18句
「時空糞四」18句

2022
「鉱物祭」 30首
「時空糞五」18句
「時空糞六」18句
「鹿縛り」 50句 
「琵琶法一」18句
「琵琶法二」18句
「琵琶法三」18句
2023
「琵琶法四」18句
「琵琶法五」18句
「琵琶法六」18句
「真経験一」18句
「真経験二」18句
「真経験三」18句
「真経験・天」(真経験一~三、54句)
「真経験四」18句
「真経験五」18句
「真経験六」18句
「真経験・地」(真経験四~六、54句)