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気分を変えたくて、車を少し走らせ、自然公園に行った。暑い日だった。入口にあるビジターセンターについてすぐ、自動販売機でミネラルウォーターとコーヒーを立て続けに飲んだ。受付で自転車を借りることができたので、久しぶりに自転車に乗って、カウンターにあった地図をもらって、それを見ながらいろいろ見てまわろうと思った。


 結局のところ、地図をもらった意味がなかった。というのは、公園内は思ったよりこの土地らしい大きなハルニレで鬱蒼としていて、地図にはない小道がいくつもあり、走り出してすぐ迷ってしまったからだ。

 名も知らぬ鳥、名も知らぬ虫、そして目の前にある2つに分岐した小道(その先は木に遮られてよく見えない)に取り囲まれて、私はぼんやりと、森も迷宮なのだと思った。


 地図を見ずにゆっくりと走り続けた。帽子を用意し忘れた私の頭に陽の光が差す。木のにおいよりももっと濃い、森のにおい。大切な人との一日を公園で過ごそうというカップルや家族を追い越しながら走り続けると、事実としてはそうではないけれども、私は久しぶりに、光を浴びた、という感じがした。


 私の作品が不当に扱われ、作品だけでなく私まで「人格障害」と罵られたあの新人賞の選考会から一か月がたつ。酒をよく飲んだ。しかし暑さのせいもあるだろうが、たいてい吐き出す始末。今後、どのように書いていくかということ。賞のこと。俳句界の「政治家」と「ビジネスマン」たち、そして飼いならされた犬のような若手の俳人たちへの怒りや不満をどのように抑えながら、やっていくのかということ。冷静さと知性を装いながら、心のなかでは感情的に私に向けて刃を振り回している連中。金の事。句集のこと。なにひとつ進んでおらぬG氏賞。安定性を欠いた世界の未来。日本の小ささと、その中で悩んでいる自分自身。何もかもまとまらず、酔いとともに全身を駆け巡りながらミックスされ、最後は便器にぶちまけられる。あらかたぶちまけた終えたその一瞬だけが、確かに自分が生きているということを実感させてくれるのだった。


 しばらく走ると、園内の池にでた。ガイドの指示のもと、ザリガニを釣っているちびっ子達。一人が茶色いザリガニを釣り上げる。その横を私は(ちびっ子達を跳ね飛ばさないように、自転車から降りて)自転車を押しながら通り抜ける。池に映る青い空、わずかに風。そしてやはり、強烈な日光。少しずつ自分が回復してゆくような気がした、それも自分の体の内側と外側の両方から! 自然というものをこの歳になるまで私はあまり意識してこなかったように思う。自分が作品を書くときにイメージするのは、自然よりもコンクリートの建造物や芸術作品などの人工物。動物は多少、好きだけれども。

このような仕方で、自然の力を感じることは、これまでなかった気がした(毎週のように自然の恵みである温泉のお世話になっているにもかかわらず)。生きててよかった、人生はすばらしい、とはまだ思わない。しかし、こういうのは悪くない、そう思った。


 全身がだいぶ汗ばんできて、そろそろビジターセンターに帰ろうと思いながらあちこちにタンポポの綿毛が落っこちている道を走っていると、開けた場所に出た。一面の緑と草のかおり。見渡す限りの芝生と2本の木。黄色い絵の具をつけた筆をそこに落っことしたように、わずかにタンポポが黄色く置かれている。そして雲のない青空。自転車のレンタルはあと10分。時間を過ぎると、コーラ2本分のお金をとられてしまう。しかし私はブレーキをかけてその場に停止した。


 ピンク色の子供服を身にまとって、白い帽子を頭にのせた1~2歳くらいのちいさいのが、芝生に座って、タンポポを摘んでいるのか、何をしているのかわからないが、静かにタンポポと戯れている(少し離れて、お母さんと思われる方がその「ちいさいの」をスマホで撮影していた)。


 陽の光、晴れた空、輝く芝生に、さらに黄を輝かせるタンポポたち、泣きわめくことなく音もたてずそれらと遊ぶ幼児。午後1時をやや過ぎたその瞬間、すべてが完璧で、隙がなく、疑うべきところもなく、あまりに圧倒的で、絶対的で、驚愕すべきほどに神々しく、光り輝いていた。今、この人生のタイミングで、このような光景を目の当たりにするのは奇跡だと思った。視線を含めて、しばらく一切の身動きがとれなかった。その光景は今の私だけでなく、過去の私や未来の私をも恐れおののかせた。私のなかに欠けているもの、失ったものが、追い求めてきたもの、しかし追い求めても絶対に手に入らない幸福と祝福が、完全な形でそこにあった。自分がどんどん真っ白になっていくような感覚があり、気がつけば私は少し泣いていた。自分はあまりにも空虚だったと、何もないのだと、そこで気づいた。


 私はこの出来事に多少混乱しながら、自転車を降りて、それを押しながら、ゆっくり歩いてビジターセンターへ向かった。